
大 洲 和 紙 と は

内子町五十崎地区では、江戸時代にご土佐の浪人が大洲藩の御用紙を漉きはじめ、越前からは善之進と呼ばれる禅僧が来て、住民に紙漉きの技術を教え、藩の産業として繁栄しました。
一時は400軒以上の農家が、紙漉きを営んでいたと言われています。
現在町内で手漉き和紙を生産しているのは、天神産紙工場と、和紙工房ニシオカさんの2軒。
西予市野村町の菊池製紙さんの1軒。
ここでつくられている泉貨紙も大洲和紙の一種です。
天 神 産 紙 工 場 と は

愛媛県内子町五十崎・天神産紙工場。
小田川のすぐそばにあり、豊富な地下水に恵まれています。
この地域の和紙生産は平安時代の書物「延喜式」にも登場していて、江戸時代には、大洲藩の産業として栄えていきました。
なぜ内子町の和紙が「大洲和紙」なのかというと、内子町も大洲藩の領地だったからなのです。
かつて和紙作りは農家の副業として行われており、この地域一帯も、いたるところで原料を栽培していたり、農家さんが軒先で皮剥ぎをしていたり、職人さんの寮があったりと、あちこちで和紙づくりの光景が広がっていたようです。
天神産紙工場は大正初期に創業。
昭和に入ると、工場の規模、紙の質・量、どれも日本一と言われるほどになったそうです。
今は技を受け継ぐ職人は少ないものの若い頃からこの工場に通い、数十年の経験を持つ方も現役で、書道半紙や障子紙を中心に生産しています。
伝統的な技法を今も守り、伝えています。
大 洲 和 紙 見 本 帖
【天 神 産 紙 工 場 編】
障子紙は、天神産紙工場で今も多く作られ、
全国に出荷されています。
扱いやすい厚みなので、メモ帳や包み紙など、
発想次第でいろいろな使い方ができます。
16〜17匁(もんめ)の
素材そのもの自然色の楮紙。
白楮紙
18匁(もんめ)の楮紙。
未晒紙・白楮紙ともに
活版印刷との相性も抜群で名刺や
ショップカードにおすすめです。
(時期により原料の色味に多少違いがあります)
天神産紙工場で、障子紙と並んで
古くから多く生産されている半紙。
明治中期から生産されている「改良半紙」は、
研究の末に開発されたもので、筆の文字がにじみにくいように、原料が配合されています。
天神産紙工場で、障子紙と並んで
古くから多く生産されている半紙。
外国産や機械漉きの安価な製品におされて
手漉き半紙の需要は減少し、
その技術自体がとても貴重なものになってきています。
特に薄いかな用の紙はなかなか手に入りません。
書くだけでなく、柄や色のある紙の上に重ね、
ラッピング用紙としてもおすすめです。
淡い色あいが、手漉き和紙のやさしさを表現しているよう。和紙の原料の楮と洋紙の原料のパルプを染色して混ぜており、その2種類の原料の染まり方の違いにより、花びらが散りばめられたような模様ができています。
時期により限定色があります。
本来は紙を漉いた後、一度圧搾し、水を切ってから乾燥させますが、漉いた直後に(圧搾せず)そのまま乾燥台にのせて乾かす方法を「素干し」と言います。
紙と乾燥台の間に空気が入り、一面はクレーターのように、もう一面は雲のように、立体的でやわらかい、独特の紙になります。
表裏どちらも活版印刷対応可。
時期により、色付き素干しもございます。
七夕の短冊のように色々な
色付き和紙チップが散りばめられた和紙です。
原料の木の繊維を、一部砕かずに残し、砕かれた原料と一緒に漉き舟に入れて漉いています。
薄いものは、光に透かすと繊維が浮き上がり、とてもきれいです。
原料となる木の皮を漉ける状態に
するまでの過程で残される粕を、
漉く段階で再度混ぜ、
和紙らしい味わいを表現しています。
時期により、粕・繊維入りの表情の違いがあり、
様々な粕入り紙がございます。